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エコから殺菌までこなす国産技術、「光触媒」(1)

当事務所で使っている光触媒「エアープロット」もこの原理を使っています。
こんにちはつよぽんです

当事務所で使っている光触媒「エアープロット」もこの原理を使っています。
ほかにも効果もありそうですね。

>この光触媒は日本で生まれた技術だそうです。こ
>の技術を建物に採用する機会が増えていますね。

その名の通り、光を受けると触媒として作用する技術で、一般には酸化チタンを用います。 光触媒は、2つの特徴を有しているそうです。

エコから殺菌までこなす国産技術、「光触媒」(1) その1

一つは、超親水性です。酸化チタンに光が当たると、表面の親水性が非常に高まります。 通常は、水滴として表面に付着する水が、光触媒を施した面で膜のように薄く広がるそうです。

●超親水性現象の原理
酸化チタンに紫外線が当たると、表面に親水基が生じ、水が膜のように広がります。ガ
ラスの曇り防止やほこりなどの汚れの付着を防ぐ効果 を期待できます。

その結果、ほこりや汚れと建材の表面との間に水が入り込み、汚れを浮かび上がらせることができます。
そのため、雨水などで汚れは簡単に 洗い流されることになります。 外壁面などに用いる建材に光触媒のコーティングを施して、清掃の手間を軽減する事例は、既に珍しいことではなくなってきました。

省エネツールにも使える 超親水性の作用を、夏季を中心とした室内温熱環境の改善に役立てようとした事例もあります。
横浜市水道局のショールームにおける取り組みです。 ショールームのガラスのカーテンウオール表面に光触媒をコーティングして、そこに散水。
膜のように広がった水が気化する際に生じる冷却効果 を期待しました。
散水量は幅1m当たり200~400mlで、雨水を循環させました。 横浜市水道局のショールームのガラスカーテンウオールに光触媒をコーティングし、そこに水を散水しました。

 エコから殺菌までこなす国産技術、「光触媒」(1) その2


実際にこのシステムを使って気温や湿度の条件が近い日同士で効果を比較してみたところ、散水した方は2度ほど室温が下がっていることが分かり ました。

>(2)は化学物質についての効果です

 

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電磁波過敏症   2011/11/24  

直流と交流(4)テスラ

交流を普及させた「ニコラ・テスラ」ですがエジソンほど有名ではないですね。
こんにちはつよぽんです

交流を普及させた「ニコラ・テスラ」ですがエジソンほど有名ではないですね。

直流と交流(4)テスラ その1

磁束密度の単位にまで「テスラ」と名前が付けれているのですから偉大な人だったようです。
ウィキペディア

テスラは現在の送電システムの主流である交流方式を実用化に導き、交流式モーターや無線操縦や蛍光灯といった、 現代に通じる数々の発明を残しました。
テスラは1856年に現在のクロアチアで生まれました。幼いころから幻覚や、球体恐怖症などの強迫観念に悩まされていたといわれ ています。
しかし、テスラは数学や科学に抜群の才能を発揮し、オーストリアのグラーツ工業大学とプラハ大学で学業を学ぶことができたの です。
大学卒業後はパリにあったエジソンの会社に就職し、一年後には能力が認められ本社のあるアメリカに渡ることになります。
テスラは、8ヶ国語を操り音楽や哲学などにも長けていて一日4時間の睡眠で充分というスーパーマンだったようです。

>そんなテスラは、かつてエジソンの下で働いていたのですね。

上司であったエジソンは、会社の誰よりも長く起きて研究に取り組んでいると自負していたものの、テスラが午前10時に出勤し翌日 の午前5時に帰宅するという勤務内容には舌を巻いたといわれています。

エジソンはテスラの能力を認めていたものの、主張の違いからテスラと対立することになります。
その原因が「送電方法」です。エジソンは頑なに直流送電を主張していたのに対し、テスラは交流送電を主張していました 。
そんなある日、エジソンはテスラに「そんなに交流がいいというのなら、俺の直流でしか動かない装置を交流で動かしてみろ」 と焚き付けました。
成功すれば5万ドル払うとまで言われてはテスラも引き下がれません。
エジソンは、交流が直流よりも扱いが難しいことを知っていてテスラを焚き付けたのですが、たちまちの内に突きつけられた難題を解決 してしまったのです。
成功報酬を受け取ろうとしたテスラに対しエジソンは、「あれはアメリカンジョークだ」と約束を反故にしてしまったのです。
この時生まれた確執が、やがてエジソンとテスラの対立をもたらしたのです。

>エジソンも大人げないですね

 

 

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電磁波過敏症   2011/11/23  

直流と交流(3)

電気の利用は電池から始まったので、交流より直流で始まりました。
こんにちはつよぽんです

電気の利用は電池から始まったので、交流より直流で始まりました。

遠くの発電所から電気を運ぶのは交流のほうが簡単だったので、現在我々使っているように交流の電気を使うようになりました。
水力発電で電気を起こして街に運ぶ必要になると送電線で送るようなります。
電気は送電線が長くなると途中で弱くなってしまったり、大量の電気を送るためには電線を太くしないと送れないとか問題になりました。

直流と交流(3) その1

対策としては発電所からは高電圧で送れば良いのですが家庭で使う時は感電の心配があるので電圧で下げなくてはならない。
直流では電圧の上げ下げが難しいですが、これが交流だと簡単に変えることが出来ました。

直流と交流(3) その2

変圧器に入っているコイルの巻き数を変えることで、新しく生まれる電気の電圧を自由にかえれることをテスラが見つけたのでしょう。

確かに交流が送電線網を作るのには便利だったのですね。

だたマイナス面もありますね。(4)に続く

直流と交流(1)
直流と交流(2)

 

 

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電磁波過敏症   2011/11/16  

直流と交流(2)

最初に白熱電球が灯ったのは明治19年(1887年)の鹿鳴館でした。
こんにちはつよぽんです
昨日の昼の日差しは熱かったですね。

日本に電気が入った来たときの様子です。

最初に白熱電球が灯ったのは明治19年(1887年)の鹿鳴館でした。

直流と交流(2) その1

エジソンに、日本への関心を向けさせた岡部芳郎

日本で初めての電気事業会社「東京電燈(東京電力の前身)」が1883年(明治16年)に設立されました。
エジソンが世界初の電力供給システムを完成したのが1882年――その翌年のことです。

>明治初期の文明開化の勢いは想像を絶しますが、日本は世界から遅れをとってないですね。

1887年には神戸電燈、1888年には大阪電燈と京都電燈、1889年には名古屋電燈が設立され、1892年には、全国で35,000灯の電灯が取り付けられるに至ります。

当時は白熱電球かモーター以外に電気の使途はなかった時代です。
電気は初め、直流だったが、“送電”のために交流が開発されたのである。

1888年には、日本でも電灯電力の供給は直流・交流のいずれがよいかで議論され、東京は直流、大阪は交流を支持しました。
その後、1895年には東京も交流に切り替えることになり、浅草に火力発電所を建設し、ドイツのアルゲネ社製50Hzの交流発電機を運転して広域営業をはじめます。

一方、大阪電燈は当初125Hzの米国トムソン・ヒューストン社(後に米国ゼネラル・エレクトリックが吸収)製の発電機を使用していましたが、 1897年にはゼネラル・エレクトリック社製60 Hz発電機に切り替えます。
その後、神戸・京都・名古屋の電燈会社もゼネラル・エレクトリック社製60 Hzであったこと、これが中心となって次第に東日本と西日本で各々周波数が統一されていきました。

いずれかに統一することが検討されましたが、統一に伴う膨大な費用負担が困難なことから、統一がされずに現在に至っています。

>欧米文化の取り入れが早過ぎたことによる混乱なのでしょうか。

 

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電磁波過敏症   2011/11/13  

直流と交流(1)

アメリカでつい最近まで直流で送電が行われていたのを知って驚きですね。
こんにちはつよぽんです

我々の生活に欠かせない電気について考えてみましょう。
コンセントに差せば使える電気、なぜ交流なのでしょうか?
エジソンが勧めた直流で使っていたら「電磁波過敏症」などという病気は無かったかもしれませんね。

アメリカでつい最近まで直流で送電が行われていたのを知って驚きですね。

直流と交流(1) その1

レサンドロ・ボルタ(ウィキペデアより)

イタリアのコモ出身のアレサンドロ・ボルタが電池を発明したのは1799年、 ナポレオンが支配した時代でイタリアという国はまだなかったそうです。

そして1832年、フランスのピクシーが手回し直流発電機を発明する。
その発電機に電流を流して回すモーターは1834年、アメリカのバーモント州のサマリーとデーベンポートによって開発されたそうです。

ここまで電気は直流のことだったそうです。
そもそも交流が普及したのは、エジソンが1879年、白熱電球を発明してからのことだそうです。

直流と交流(1) その2

エジソン(ウィキペデアより)

しかしエジソンが白熱電球の実験をしたのは直流だった。
一般家庭で電球を灯すためには電気が必要だったが、当時はまだ電気が“供給”されていなかった。
そこでエジソンはニューヨークで電線を引いて電気を供給する事業を開始した。
もちろんそれは直流だった。

直流と交流(1) その3

ニコラ・テスラ(ウィキペデアより)

交流発電機はエジソンの部下のニコラ・テスラによって実用化されたそうです。

>このテスラという人も天才だったようです。

エジソンはかたくなに直流方式を主張したが、事業化でテスラの交流を採用したのはライバル会社のウエスチングハウスやトムソン・ハウスだった。

直流方式は電圧降下のため、半径3キロ程度しか送電できなかったが、交流だと、高い電圧で送電して、どこでも100ボルトに下げられる。

送電の効率からすると直流は交流に対抗できるはずもないことがやがて分かってきたようです。
しかし、エジソンは最後まで直流に固執し、高圧の交流がいかに危険かを示すため、イヌやネコを感電させる実験までして抗議した。

>死刑に使われる電気椅子はエジソンのこの実験から作られたようですね。

 

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電磁波過敏症   2011/11/11  

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