スタッフブログ

ホーム > スタッフブログ > 電磁波過敏症

直流と交流(3)

電気の利用は電池から始まったので、交流より直流で始まりました。
こんにちはつよぽんです

電気の利用は電池から始まったので、交流より直流で始まりました。

遠くの発電所から電気を運ぶのは交流のほうが簡単だったので、現在我々使っているように交流の電気を使うようになりました。
水力発電で電気を起こして街に運ぶ必要になると送電線で送るようなります。
電気は送電線が長くなると途中で弱くなってしまったり、大量の電気を送るためには電線を太くしないと送れないとか問題になりました。

直流と交流(3) その1

対策としては発電所からは高電圧で送れば良いのですが家庭で使う時は感電の心配があるので電圧で下げなくてはならない。
直流では電圧の上げ下げが難しいですが、これが交流だと簡単に変えることが出来ました。

直流と交流(3) その2

変圧器に入っているコイルの巻き数を変えることで、新しく生まれる電気の電圧を自由にかえれることをテスラが見つけたのでしょう。

確かに交流が送電線網を作るのには便利だったのですね。

だたマイナス面もありますね。(4)に続く

直流と交流(1)
直流と交流(2)

 

 

≫ 続きを読む

電磁波過敏症   2011/11/16  

直流と交流(2)

最初に白熱電球が灯ったのは明治19年(1887年)の鹿鳴館でした。
こんにちはつよぽんです
昨日の昼の日差しは熱かったですね。

日本に電気が入った来たときの様子です。

最初に白熱電球が灯ったのは明治19年(1887年)の鹿鳴館でした。

直流と交流(2) その1

エジソンに、日本への関心を向けさせた岡部芳郎

日本で初めての電気事業会社「東京電燈(東京電力の前身)」が1883年(明治16年)に設立されました。
エジソンが世界初の電力供給システムを完成したのが1882年――その翌年のことです。

>明治初期の文明開化の勢いは想像を絶しますが、日本は世界から遅れをとってないですね。

1887年には神戸電燈、1888年には大阪電燈と京都電燈、1889年には名古屋電燈が設立され、1892年には、全国で35,000灯の電灯が取り付けられるに至ります。

当時は白熱電球かモーター以外に電気の使途はなかった時代です。
電気は初め、直流だったが、“送電”のために交流が開発されたのである。

1888年には、日本でも電灯電力の供給は直流・交流のいずれがよいかで議論され、東京は直流、大阪は交流を支持しました。
その後、1895年には東京も交流に切り替えることになり、浅草に火力発電所を建設し、ドイツのアルゲネ社製50Hzの交流発電機を運転して広域営業をはじめます。

一方、大阪電燈は当初125Hzの米国トムソン・ヒューストン社(後に米国ゼネラル・エレクトリックが吸収)製の発電機を使用していましたが、 1897年にはゼネラル・エレクトリック社製60 Hz発電機に切り替えます。
その後、神戸・京都・名古屋の電燈会社もゼネラル・エレクトリック社製60 Hzであったこと、これが中心となって次第に東日本と西日本で各々周波数が統一されていきました。

いずれかに統一することが検討されましたが、統一に伴う膨大な費用負担が困難なことから、統一がされずに現在に至っています。

>欧米文化の取り入れが早過ぎたことによる混乱なのでしょうか。

 

≫ 続きを読む

電磁波過敏症   2011/11/13  

直流と交流(1)

アメリカでつい最近まで直流で送電が行われていたのを知って驚きですね。
こんにちはつよぽんです

我々の生活に欠かせない電気について考えてみましょう。
コンセントに差せば使える電気、なぜ交流なのでしょうか?
エジソンが勧めた直流で使っていたら「電磁波過敏症」などという病気は無かったかもしれませんね。

アメリカでつい最近まで直流で送電が行われていたのを知って驚きですね。

直流と交流(1) その1

レサンドロ・ボルタ(ウィキペデアより)

イタリアのコモ出身のアレサンドロ・ボルタが電池を発明したのは1799年、 ナポレオンが支配した時代でイタリアという国はまだなかったそうです。

そして1832年、フランスのピクシーが手回し直流発電機を発明する。
その発電機に電流を流して回すモーターは1834年、アメリカのバーモント州のサマリーとデーベンポートによって開発されたそうです。

ここまで電気は直流のことだったそうです。
そもそも交流が普及したのは、エジソンが1879年、白熱電球を発明してからのことだそうです。

直流と交流(1) その2

エジソン(ウィキペデアより)

しかしエジソンが白熱電球の実験をしたのは直流だった。
一般家庭で電球を灯すためには電気が必要だったが、当時はまだ電気が“供給”されていなかった。
そこでエジソンはニューヨークで電線を引いて電気を供給する事業を開始した。
もちろんそれは直流だった。

直流と交流(1) その3

ニコラ・テスラ(ウィキペデアより)

交流発電機はエジソンの部下のニコラ・テスラによって実用化されたそうです。

>このテスラという人も天才だったようです。

エジソンはかたくなに直流方式を主張したが、事業化でテスラの交流を採用したのはライバル会社のウエスチングハウスやトムソン・ハウスだった。

直流方式は電圧降下のため、半径3キロ程度しか送電できなかったが、交流だと、高い電圧で送電して、どこでも100ボルトに下げられる。

送電の効率からすると直流は交流に対抗できるはずもないことがやがて分かってきたようです。
しかし、エジソンは最後まで直流に固執し、高圧の交流がいかに危険かを示すため、イヌやネコを感電させる実験までして抗議した。

>死刑に使われる電気椅子はエジソンのこの実験から作られたようですね。

 

≫ 続きを読む

電磁波過敏症   2011/11/11  

オールアース(2)

大工さんはオールアース住宅仕様のスパボンドシートを張りながら床材を張っていました。
こんにちはつよぽんです
沖縄県では6月9日で観測史上もっとも早く明けたようですが、関東地方も早く明けて欲しいですね。

昨日S邸の打ち合わせに行って来ました。

オールアース(2) その1

丁度セルロースファイバーの床を施工していました。

オールアース(2) その2

天井(2階床)はこれから充填します(100㍉)

オールアース(2) その3

トラックに積んだ機械で攪拌・圧送します。

オールアース(2) その4

 

大工さんはオールアース住宅仕様のスパボンドシートを張りながら床材を張っていました。

 

オールアース(2) その5

 

(株)レジナよりシートが届いたので取り付けました。

シートが張り上がると通電して電場が遮断出来ているか検査します。

 

 

 

≫ 続きを読む

電磁波過敏症   2011/06/12  

オールアース(1)

千間台のS邸は当事務所初めてのオールアース住宅仕様です。
こんにちはつよぽんです

 

オールアース(1) その1

散歩の途中に見つけたカボチャの花です。

千間台のS邸は当事務所初めてのオールアース住宅仕様です。
先日(株)レジナの島内氏に現場説明をお願いしました。

オールアース(1) その2

島内氏がスパンボンド(床・壁に入れて電場をアースに流すシート)の効果を測定器で説明しているところです。

放射能もそうですが電磁波も五感で感じられないので説明するのは測定器しかないですね。

レジナ オールアース住宅
http://www.regina-life.com/

 

 

≫ 続きを読む

電磁波過敏症   2011/06/08  

 ブログの訪問有難うございました。

メールマガジン「カトケン通信」登録のフォームです。

メールアドレス
名前(姓)
名前(名)

資料請求・お問合せ

お電話