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直流と交流(2)

最初に白熱電球が灯ったのは明治19年(1887年)の鹿鳴館でした。
こんにちはつよぽんです
昨日の昼の日差しは熱かったですね。

日本に電気が入った来たときの様子です。

最初に白熱電球が灯ったのは明治19年(1887年)の鹿鳴館でした。

直流と交流(2) その1

エジソンに、日本への関心を向けさせた岡部芳郎

日本で初めての電気事業会社「東京電燈(東京電力の前身)」が1883年(明治16年)に設立されました。
エジソンが世界初の電力供給システムを完成したのが1882年――その翌年のことです。

>明治初期の文明開化の勢いは想像を絶しますが、日本は世界から遅れをとってないですね。

1887年には神戸電燈、1888年には大阪電燈と京都電燈、1889年には名古屋電燈が設立され、1892年には、全国で35,000灯の電灯が取り付けられるに至ります。

当時は白熱電球かモーター以外に電気の使途はなかった時代です。
電気は初め、直流だったが、“送電”のために交流が開発されたのである。

1888年には、日本でも電灯電力の供給は直流・交流のいずれがよいかで議論され、東京は直流、大阪は交流を支持しました。
その後、1895年には東京も交流に切り替えることになり、浅草に火力発電所を建設し、ドイツのアルゲネ社製50Hzの交流発電機を運転して広域営業をはじめます。

一方、大阪電燈は当初125Hzの米国トムソン・ヒューストン社(後に米国ゼネラル・エレクトリックが吸収)製の発電機を使用していましたが、 1897年にはゼネラル・エレクトリック社製60 Hz発電機に切り替えます。
その後、神戸・京都・名古屋の電燈会社もゼネラル・エレクトリック社製60 Hzであったこと、これが中心となって次第に東日本と西日本で各々周波数が統一されていきました。

いずれかに統一することが検討されましたが、統一に伴う膨大な費用負担が困難なことから、統一がされずに現在に至っています。

>欧米文化の取り入れが早過ぎたことによる混乱なのでしょうか。

 

電磁波過敏症   2011/11/13  
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